人生のジレンマからの解放
回答困難な問い掛け
この世で一般的で、それでいて回答困難な問い。
- 世界の存在に意義はあるのか。
- 自分がこの世に生を受けた意味はあるのか。
「意味(または意義)があるのか」という問いかけは先天的な意味付けである。
この種の問い掛けは「客観的な意味があるのか」という問いに置き換わる。この客観的意味の問い掛けに答えるのは非常に困難である。もしかすると回答不可能なのかもしれない。現時点では明確な解を導くための情報は枯渇している故、人知的な意味が実際に有るのか無いのかは不明である。
意味の探索より意味の付与
従って、「意味があるのか」と言う”意味の探索”をすることは、賢い選択とは言い難い。
そこで、「意味があるのか」ではなく、「どんな意味を付与するか」を重視すべきと考える。意味の付与であれば、後天的(主観的)な意味付けとなるため、終わりの見えない有無の問い掛けというジレンマから解放される。
そして「どんな意味を付与するか」という解決可能な課題へと置き換わる。
有無の問い掛けというジレンマからの解放
「世界の存在意義」「我々の生きる意味」
この有無の問い掛けのジレンマは、客観的な外部から見つけ出す<意味の探索>ではなく、我々個人の主観的な内部から付与する<意味の付与>を手段として選択することで解放される。