果てしなき世界へ
忘却の価値。
人は忘れる。
記憶は曖昧。
だから
外なる世界に刻印した記録と
内なる世界に刻印された記憶とに
差が生じる。
その差が価値となる。
差の意味する所は
可変的な領域がある
という事だ。
そこでは自由が許される。
故に不可変的な絶対記憶は
環境変化に対応できず
自然淘汰される。
事実とは確信のこと
まず前提として、事実には証明しようがないという事実がある。ならば事実とは何か、ということになる。事実とは信じて疑わないこと、即ち「確信」と同義である。そして我々は権威ある言葉に対しては容易に疑わずして信じられる。
事実は自分でデザインできる
権威ある言葉はこの世に無数存在する。言葉の中には互いに強め合う概念以外にも矛盾し合うものも当然のように含まれる。このことは我々は権威ある言葉をある程度自由に選択できるという事を意味する。
ならば「事実」は自分自身でデザインできる。
① 私が望む世界を頭に浮かべる。
② 望む世界を肯定する権威ある言葉を探す。
③ 見つけた権威ある言葉を繋げていき世界を構築していく。
④ 権威ある言葉からなる世界だから自然に信じることができる。
⑤ そのデザインされた世界は事実であると確信する。
以上により自分で創り上げた世界は事実化できる。
世界は想像以上に柔軟
相反する概念は常に思考で反転できる。意識、思い、考え方次第で物事の捉え方、見え方は自由自在に変えられる。ここで強調したいのは世界は我々が思っている以上に柔軟であるということ。
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現実の曖昧化。くっきりしたものをぼかす。
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フェイクのリアル化。信じられないことを信じる。
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外界の内在化。表を裏とする。
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既知の無知化。知っていることは実は知らない。
上記の事柄が頭の中でできないのであればそれは貴方の世界観には余白(余裕)がないということである。余白が無ければ身動きが取れないことは言うまでもない。
余白
余白の作成。
満たされた二次元世界。
身動きの許されぬ世界。
そこへ三本目の軸を与える。
顕現する三次元世界。
途端に十分すぎる程の余白が生まれた。
身動きできぬのなら
余白が足りていない。
その時は軸を増やす。
相反する意見で動けぬのなら
どちらかではなく
どちらも共存させてみる。
余白の作り方は自分の考え方に軸を一本増やすだけでいい。たったそれだけで膨大な量の余白が生まれる。
ほんと空っぽ。
軸を増やし過ぎた世界。
その世界は
広大で
壮大で。
それでいて
希薄で
ほんと空っぽな
世界。
無知の知は、そんな世界の一端で。
知らないという可能性は
自分の常識を否定できる。
だから余白が無限に広がる。
「知らない」という軸
たったひとつで
世界は空っぽになった。
世界とは面白い。頭の中で一本の概念を足すだけで自由さが大幅に向上する。故に新しい軸(余剰)を意識するだけで世界観は広がっていく。
余白と余剰の対象性
余剰と余白。
余剰は有り余るエネルギー。
それは更なる成長をもたらす。
余白は自由が許容された領域。
それは環境変化に対応する術を与える。
余剰をもって加速して
余白をもって適応する。
余剰で余白を結ぶもよし。
余剰と余白をもって
世界観を進化させる。
然し余白を扱うときは注意しなければならない。余剰は何を基準にするかによって余白にも成り得る。
白と黒。
白が空っぽで
黒がいっぱいで。
…
白がいっぱいで
黒が空っぽで。
結局は基準次第。
黒で溢れさせたいのであれば前者。
白で溢れさせたいのであれば後者。
「余白」と言う言葉は
黒で溢れさせたい誰かが
創った言葉に違いない。
それを常識とした我々は
白色消費至上主義者である。
リバーシブル。
余白は黒で埋め尽くされた世界の中の希少な白。
余剰は黒で満たされた世界からはみ出した余分な黒。
余剰の黒はどこにはみ出し得たのか。
白以外に考えられない。
基準枠に対して欠・満・過を議論し
紙の広さは無限大。
故に白と黒が反転すれば
余白は余剰に、余剰は余白に成る。
余白は世界が黒で満たされることを前提にしている。余白と言う言葉を使うこの世界では、余る側が白なのだから白を黒で埋めていくことで白を消費する世界なのである。そして白は黒で満たしていく箱の外にも広がっている。故に余剰という概念が存在し得る。「白い箱」から黒が「白い外」へ溢れ出た分が余剰という事になる。
白と黒は色という概念であって互いの概念(意味、重み)は同列にある。即ち白と黒は逆にすることも可能という事である。白と黒の逆転後の世界は下記のようになる。
現世 逆世
余白 → 余剰
余剰 → 余黒 (下図参照)
※赤枠が黒からすれば余剰、白からすれば余黒
前の説明にもあるように余白は自由の象徴であり、余剰は成長の糧となる。従って白い箱が満たされれば余白が無くなり身動きがとれなくなるが、新たな軸の創造、即ち余剰によって白い箱の容積は拡大する。
①白い箱の中で黒が増加⇔白が消費される=白の自由度が増す
②黒で余白が満たされる⇔白の世界がなくなる
③黒が溢れる=黒の余剰=白い箱の容積拡大⇔新たな白い世界が広がる
④黒の自由度UP⇔白は余黒分の自由度をもつ
余白と余剰の相違点
「黒で満たす世界」の視点で言えば余剰は白い箱の容積拡大に繋がるが、「白で満たす世界」の視点で言えば余剰は余黒となり自由度を増やす。 但し、満たされた箱に余白を作るのと余剰を作るのとでは致命的に異なる点がる。それは可逆性だ。前者が可逆反応であるのに対して後者は不可逆反応である。
黒で満たされていく白い箱はやがて限界を迎える。その時に生じる反応は二通りあり、逆転して白で埋め尽くされる世界へと向かうか、余剰を創るかである。 逆反応が起これば状態は元に戻るだけであるが、余剰が創られれば空間の次数が増える(次元上昇)のだから元の状態とは明らかに異なる。
故に危惧すべきは、自由に意識がいくあまり、負荷のかかる余剰による次元上昇なしに容易な黒を減らして余白を増やすことで自由を確保したはいいが、気づけば振り出しに戻っていたという点である。その為、余白を余剰だと勘違いすれば、意図せず前の理由で次元上昇せずにもと来た道を引き返す羽目になる。
従って戦略は下記の通り。
①余白は満たすように働きがける(自由度が減る)
②余白が満たされたら余剰(新たな軸)を創る(自由度が大幅に増える)
果てしなき世界へ
より大きな自由を手に入れるためには
目の前の自由を犠牲にせよ。
そうすれば
身動きの取れぬほどに余白が満たされた時
初めて目の前に新たな自由の柱が現れる。
そして今までにない広い世界と矮小な己を
知ることになるであろう。