Amies Philosophy ー世界観ノ創造ー

世界は物語。物語は雲。世界観の創造は水を雲にすること。世界観は入道雲のように空高く。

言葉ノ神器。

 

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言葉は人類によって創造された。

言葉の積み重ねで今の複雑な概念が成立している。

言葉とは膨大な経験の中で幾度となく観測された
特定の事象を表現するもの。

それは至極簡易的で
故に情報圧縮器。

言葉を使えば情報が解凍され世界が広がる。

人類の使命は言葉ノ創造。

 

人を人たらしめるものは言葉である。人類の叡智は言葉なしには語り得ない。何故なら言葉が叡智を築くのだから。

 

言葉ノ創成期

言葉とは形や音に意味が付与されたもの。人が認識しやすいものを核として意味の結晶を成長させる。それが言葉の始まり。現存する言葉は自然淘汰の選択圧によって形づくられている。選択圧とは人が認識しやすいという圧である。「その言葉の字は、見えやすいか覚えやすいか」、「その言葉の発音は、聴こえやすいか覚えやすいか」。何千年、何万年にも渡ってこういった選択圧に曝され続けた結果として、今の言葉がある。だから言葉は我々人類の脳に馴染みやすい。故に記憶も容易にできる。

生まれて間もない言葉とは単純なモノの表現であった。単純ではあるが生きる上で重要なソレを表現するもの。言葉が誕生したことにより他人に己の意思を詳細に伝えることが可能となった。この他者との交信手段の革命により協力の形が昇華したのであった。

 

言葉ノ神器

言葉は己の意識を形や音として具現化したもの。意識とは厄介である。情報が膨大な上に、情報を維持することも伝えることも困難だからだ。そこで重要な役割を果たすのが言葉である。言葉を使えば前述の困難は解消される。従って、言葉とは情報圧縮器である。浮かんだ意識を言葉に込めて意識情報を圧縮する。その言葉を思い出すことで言葉に圧縮された意識は解凍される。持ち運びが容易な言葉を他者に届けることで受け取り手は己の中で貰った言葉を解凍し送り手の意思を読み取ることができる。また、無尽蔵に生じた意識を一つ一つの言葉に圧縮し留めておくこともできる。言葉とは人類の創り出した神器と言っても過言ではない。

 

意識を運ぶ。

意識とは日常的に
生まれては消えを繰り返す。

なぜ消えゆくのか。
それは意識は情報量が膨大であり
持ち運びに適さないから。

無尽蔵に生まれ出る意識を
溜め続ければ
身動きが取れなくなってしまう。

だから消す必要がある。

そこに現れたのが
言葉という道具。

圧縮記録装置。

 

 言葉ノ波紋

言葉は圧縮した意識情報である。その意識情報とは外部情報の圧縮である。即ち、外部情報を脳に取り入れ意識に落とし、その意識を言葉に落とす。この「言葉に落とす」という工程が人類の認知進化を加速させた。

意識とは今、生じるものであり過去でも未来のものでもない。その生じた意識は時間経過とともに消滅してしまう。一滴の雫で生じた水面の波紋がやがて消えゆくように。言葉なき太古の人社会における「今、生じる意識の粒」には、粒同士の短い繋がりはあれど長く膨大な繋がりは期待できない。何故なら一滴の雫は常に人の外に在るものだから。要するに意識の起点は己の意思とは何も関係のない客観的な所に在る。だから言葉なき意識は常に外部の客観に縛られている。自分の意思に関係なく客観の描く物語に沿って意識も流れてゆく、そんな世界が言葉なき世界。意識を繋ぐ糸は客観的な形や音であって、自由な意思をもつ糸はどこにもなかった。

 

 精神世界への扉の鍵

観測される目の前に広がる世界を人は物質と呼ぶ。しかし意識のことを物質とは呼ばない。故に意識の圧縮情報である言葉も物質とは言えない。その非物質の言葉が虚構の世界を創造した。言葉と言葉が結びつき組織を成すことで物質世界とは異なる世界が生まれた。それが精神世界。その精神世界の中で営まれる言葉の結合によって生じた化合物が幻想や空想と呼ばれる物語である。人の意識の生命体とでも言える物語は非現実的ではあるが、それは現実の象徴である言葉から紡がれているため、人に現実味を与える。こうして物語は現実と非現実の境界を曖昧にすることで人類の精神世界への扉を開いた。

 

人類の信仰心

精神世界の中では様々な概念が生まれた。その概念とは非物質的な概念全てである。その新たに創造された大量の言葉達によって複雑に組織化された壮大な物語が生まれる。人はそれを国家と呼び、人はそれを宗教と呼び、人はそれを科学と呼ぶ。この前提に立つのが信仰心であり、それは言葉を信じる力である。人類は集団で言葉を共有し、互いにその言葉の存在を信じた。それによって人類の間では言葉を実在化することができた。人固有の特性とは自ら創り上げた非物質を無条件で信じれる力なのかもしれない。

 

実在の正体

非物質を信じることのできる人類にとっての実在とは何か。人類は信仰の上に信仰を築き上げる。信仰とは言葉。言葉とは道具。意識を出し入れする異次元キューブ。キューブから生じる意識を実在とするのなら、それを生み出すキューブも実在となる。また、実在するキューブにはそれを構成する部品がある。キューブの存在は部品の存在を前提にしている。よって、キューブが実在であるのならそれを構築する部品も実在である。その部品とは形や音のこと。

人は精神世界を通して物質世界を観測する。決して直接的に物質世界を見ているのではない。物質世界を見るとは精神的に意識するということ。意識しなければ見たことにはならない。逆を言えば見て意識さえすればその対象は存在すると認識される。人の言う存在とは意識されるものであり、その意識とは精神的なもの、そしてそれを形として留めるものこそ、言葉である。

実在とは実際に存在すると人に認識されることであり、その認識は言葉によって確信を得る。故にその確固たる自信の上で実在と呼ぶ目の前の世界は、全てが言葉で語られる概念で構築された世界となる。その実在性を強化するものは、それに付随する概念(意味)群であり、付随する概念の数が多いほど実在性が強いと言える。これは実在と言う信仰心の強さであり、強くなるほど実在性を肯定する概念を加速的に取り入れていき、実在を自己の中で確かなものとする。そして当然のように実在と信じた世界を肯定する概念群も全て実在として信仰するのである。そうなれば中心にある実在の核は心理的に疑う余地が無くなる。何故なら人は損失を積極的に回避する生き物だからである。核を失えばそこに労力を割いて付け足したありとあらゆる意味を失うことになる。人としてそれは最も避けるべき行為の一つである。

道具が実在するのならそれを構成する部品が実在する関係性と同様に、目の前の言葉で意味付けられた世界観を実在と認めるのなら、それを構成する言葉も実在すると認めざる負えなくなる性が人にはある。もう少し現代的に言うのなら、現代科学を現実の理論であると信じて疑わない現人類からすれば、その前提にある原子、光、引力などの存在の真偽を問題にするまでもなく真とする。故に信じている存在を説明するために必要不可欠な概念は疑う余地もなく実在とする。極端に言えば人類にとっての実在とは実在と信じることが全てであり、人類は表層の超実在的な物質を実在すると認識・理解する手段として非物質的な言葉を使うため、その言葉を実在として認識することができる。

 

実在の正体。

実在とは
実際に存在しているから実在
ではないと考える。

実在とは
ある物事を説明する上で
必要不可欠だから
実在と呼ぶ。

実在と言う考えは一種の信仰だ。

説明する為に
それが在るという前提に立たなければ
話が前へ進まない。
だから一端、実在と信じる事で
理論が構築できる。

 

 言葉ノ建築物

人から言葉を除けば人類が築き上げてきたこれら一切の叡智が失われ、動物と言うカテゴリーと同質化する。逆に人類は言葉と言う道具だけで現在の人類固有の叡智を築き上げることができた。学問、社会、国、宗教、経済、文化、歴史、物語。数々の虚構は言葉の進化と共に発展してきた。言葉が生まれ、言葉が文化を創り、文化が言葉を創り。言葉の可塑性が文化などの組織的構造を創り、反対に言葉で構築した文化の可塑性が言葉を象り、新しい言葉を創り出す。このように両者の可塑性は相互影響の連鎖を可能にし、互いに共存共栄の中で進化発展してきた。言葉で一段目を築き、二段目を物語、三段目を言葉、四段目を学問、、と一段一段と階段を踏みしめて高みに至る人類。然しこの神の領域へといざなう神聖な階段ですら素材は全て言葉である。言葉がいかに神がかった器であるのか、使っている本人ですら気づけないでいる。

 

言葉の性質と機能

言葉がなくても世界を見ることはできる。ただそれは地面からの眺めである。その地面の面積は有限であるのだから地面から眺めることができる領域は地面の面積に縛られる。だから眺める風景は有限となる。地面からでは世界の全貌は拝めない。だから言葉という名の「高さ次元」を取り入れることに意義がある。言葉から成る高さは無限に築き上げることができる。従って、無限通りの世界の眺めを経験できる、ということである。それは飽きることのないユートピアである。人類は世界を創造する神器を得た。せっかく神器を持つというのに、何故、それを最大限に使おうとしないのか。素材や道具は使うためにあるのだから言葉も然り。言葉の力を十二分に引き出し新たなる世界の扉を開く。その前に素材にも道具にもなれる言葉の、性質である『結合性、可塑性』と機能である『情報の圧縮と解凍、転移』を十分に理解すべきである。一方で選択圧の制約も忘れてはいけない。

 

言葉を集めよ。言葉を紡げよ。そして言葉を生み出せ。

これを全人類で行え。

更にそこから生み出される言葉を集めよ。集まった言葉を人類で紡ぎあえ。

そして紡がれた言葉から全く新しい言葉を生み出せ。

この繰り返しで…

あるいは、もしかしたら言葉以外の神器が生れるかもしれぬ。

 

 

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