Amies Philosophy ー世界観ノ創造ー

世界は物語。物語は雲。世界観の創造は水を雲にすること。世界観は入道雲のように空高く。

知識の進化論

f:id:sutekinakaba:20190207213101j:plain

 

知識は生き物

知識は生き物である。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
時間が経てば進化し、また退化もする。
協力もすれば、孤独にもなる。
変化することもあるし、保持することもある。

 

アナロジー

上記の点を考えれば、知識という虚構の存在は生き物であることは明白である。
知識は生き物に内在するのだから、知識が生き物だというのは当たり前ではと言う人がいるのかもしれないが、知識は曖昧な存在であるが故にそう簡単ではない。知識は存在するのかと言う問いは、時間は存在するのかという命題と同じように証明するには困難を極める。なぜならば、それらは虚構の存在であるからだ。
確かにそれらの虚構が存在することは経験上疑いようがないが形而上の存在のため、それは漠然としたイメージで存在しており、顕在化させるには骨が折れる。
そこで、抽象的なイメージをアナロジーにより具体化することが、虚構の存在を顕在化する上で大きな意味を持つ。

 

知識という生命体について考える

そのアナロジーが「知識は生き物だ」ということである。
これにより、形のない知識が細胞や菌のようなイメージに置き換わり、それにより知識が死んだり、増えたり、コロニーを創って進化したりというイメージが可能になるのだ。

そこで、知識を生き物と捉えた場合、ダーウィンの進化論を当て嵌めてみるのも面白い。

 

知識の進化論

ダーウィンの進化論の骨幹となるのは自然淘汰である。自然淘汰とは不安定が滅び、安定が生き残るという自然の法則のようなものである。
自然淘汰で生き残る初期条件は、より長く存続すること、自己複製速度が速いこと、自己複製が正確であることである。
それぞれを知識に当てはめれば、知識単体(ある一つの知識)を長い時間記憶していること、記憶した知識単体を想起(復習)する頻度が多い、記憶した知識単体を正確に想起できることが、知識単体が自然淘汰の中で生き残る条件である。その条件を満たすためには知識単体の質が重要となる。質を上げるには、知識があらゆる関連情報で補強されていなければならない。これにより、正確な理解が可能となり、理解すれば想起は容易になり想起の頻度も上がり、想起の頻度が多ければ、記憶した知識の正確性は維持される。

他の生物との競争の中で生き残るには、他への攻撃によりライバルを減らし、他からの攻撃を防御し、また他を取り込み利用できるかが重要である。知識に置き換えれば、攻撃力の強さは印象の強さであり、防御力は知識が整理されているほど印象の強い攻撃に対しての強度が増す。そして他の利用が、知識同士の協力となる。

知識は自然淘汰の中で存続を賭け、日々を戦い進化している。
その様に考えると、新たな知識のインプットは、もとある知識と相性が悪ければどちらかが滅び、相性が良ければ協力し進化しより強靭な生命体となる。これが知識の進化論である。

 

知識のシンギュラリティ

知識の進化論に従うと、今後進化の過程で知識のシンギュラリティに到達すれば、新たな知識進化のフェーズへ移ると考えられる。
そうなるためにも、知識を扱う技術(=考え方)を高次化させる*1ことが今後の課題と言えよう。

*1:知識が人類と同じように進化すればやがて道具を発明し、その技術を発展させる。従って、その技術発展こそがシンギュラリティに到達するための鍵となるに違いない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ