成長する秘訣。その名はセレンディピティ。
現在の延長線上に思い描く未来に私はいるはずがない。常に新しいことを取り入れる。そうしていけばおのずと今思い描いている未来の姿からかけ離れていくのは明白だ。だから、過去思い描いた自分が今そこにいたのならば想像の範囲内で収まっていることを嘆かなければならない。
- 私は情報渇望症 にかられている。
- セレンディピティとは何か。
- 予想外という権利を得るためには。
- 予想。
- 予想通り。
- 正しいはどのように判断するのか。
- 予想通りは正義か。
- 予想外の結果を享受するには。
- まとめ。
私は情報渇望症 にかられている。
情報が欲しくてたまらなく、何かいい刺激になる情報がないかと無意識に探してしまうそういう症状だ。ただここでこの症に善悪のレッテルを付けるのは危険だ。一方で目的のない情報探査は避けた方がいいだろう。セレンディピティの効果が薄れてしまうからだ。
セレンディピティとは何か。
セレンディピティとは 予想外の発見である。物事の中心に対してその周囲が活性化されるそういう現象だ。予想外であるということは、その前に予想がなければならない。予想がなければセレンディピティによる発見は空しいものとなる。中心無くしてその周囲有ることもなく。
予想外という権利を得るためには。
過去に予想をしなければ未来永久、予想外が訪れることはない。予想をした者だけが得られる権利。それが予想外。予想外の権利が得られるとセレンディピティが活性化し、琴線に触れるような発見がもたらされる。それは感動。感動は脳の全神経細胞を遍く刺激し、脳を覚醒させる。その為にも予想しなければならない。
予想。
予想とは未来への目印である。印があれば自分は過去描いた道から外れているのかどうかが分かる。目印から外れていれば、過去した予想に何かが足りなかったのだと気づく。それが無意識であっても脳は覚えている。だから、予想外の時に "驚く" のだ。
脳は無意識に記憶している、何を目印(目的)にしたかを。ただ、目印がなければ驚くこともない。基準がなければ差は生まれないからだ。驚くというのは基準からの差が予想の閾値を超えたときに発生する現象である。
予想通り。
予想通りの展開は初めはうれしいが、それが重なると面白みの欠如に気づく。ここでいう予想通りとは予想通りになるように行動した上で得られる結果である。予想通りは目印の精度が高いともいえるが、一方で別の側面を持っている。それは未来に影響を与えられてないということだ。
予想通りになるよう行動した結果が予想通りで何が悪い。そうだろう。それは正しい。確かに可もなく不可もなく正しい。
正しいはどのように判断するのか。
正しいとはあいまいな表現である。何をもって正しいと判断するかは人それぞれ、時代それぞれである。そのため正しさの基準に絶対的なものは存在しない。ではどう正しいと判断するのか。それはその正しさがどれだけ自分の力になるかで判断すればいい。その正しさが自分の成長に有利に働き、糧になるのであればそれはまさに正しい行いである。
予想通りは正義か。
では上の定義を踏まえて再び予想通りは正しいのかについて考える。
答えはNOである。
予想通りの結果でもたらされる報酬は現状維持だけである。予想通りには予想外の発見がない。過去の自分の正しさは証明できるが得られるものは限られている。自分の成長を目的とした戦略で予想通りは敗北に相当する。従って予想通りは悪であると考える。
予想外の結果を享受するには。
予想外とはいっても意図的に予想を外すのでは新しい発見は得られない。なぜなら予想外になることを予想したのだから。予想外になるためには、予想通りになるという確固たる自信をもって目印に向かって出し惜しみなく進まなければならない。その時にあらゆる未知という不確定要素をインプットし続ける。要は日々勉強により未知の情報を収集し続けること。これは自分の成長を齎すとともに未来に対する不確定要素の影響が大きくなる。そうすると、過去に付けた目印からのずれが大きくなり、そして目印から大きく外れた、予想の外の結果になる。これが予想外の発見、セレンディピティである。
まとめ。
- 情報渇望化社会では目的意識を持たなければならない。
- 目的意識により予想外の権利を得る。
- 予想外の権利が得られれば目的に向かって猪突猛進で勉強する。
- そうすれば自分が変化することにより予想外の結果が得られる。
- その予想外の発見(セレンディピティ)は自分を大きく成長させる。