Amies Philosophy ー世界観ノ創造ー

世界は物語。物語は雲。世界観の創造は水を雲にすること。世界観は入道雲のように空高く。

ソウゾウの理

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輪廻の渦から跳ね飛ぶしぶき

果てなき器に集まりて

永久の中で君を待つ

生み生まれた君をみつめ

新たな時代をソウゾウす

 

 

世界観を創造する上で重要なのは世界の構造をしっかり捉えることである。世界観の創造の際、焦点が世界の構造から外れれば、世界観の状態を保つことが困難になる。

 

抽象化と影響の裾

世界の構造を把握する上で最も優先すべきことは抽象化である。抽象化は森羅万象への影響力の範囲を広げる有効な手段である。2つの独立した事象の間に繋がりをつくるためには両者の事象の影響範囲を広げ、それぞれの影響を重ならせる必要がある。それにより2つの独立した事象に関係が生じるのだ。

 

世界を分かつ

まず世界について考える。世界は大きく2つに分けられる。

  • 物質世界:実体のある物質からなる世界。客観的に存在する世界。
  • 精神世界:実体のない精神からなる世界。主観的に存在する世界。

ここで念頭に置くべき点がある。それは世界を認知するのは常に人間である自分自身だということである。どんな解釈に至ろうとも自分が認知する以上、世界がその域を超えることはない。従って、世界とは人が持つ世界観のことであり、それは客観的にあるか主観的にあるかの2択なのである。

 

内の世界と外の世界

一般的に内の世界(内界)と言えば精神世界であり、外の世界(外界)と言えば物質世界である。しかし、この観念は物質主義思想からくるものである。そうなると精神主義思想の立場で言うと内と外との見え方は反転する、ということになる。

そもそも内側と外側の違いとはなにか。それはどちらの領域を基準としたかだけだ。では基準とはどうやって決まるものか。それは大きさではないだろうか。大きい空間を内側と呼ぶのは違和感ある。従って小さい空間を基準とした場合、基準である小さい空間側を内側、大きい空間側を外側と呼ぶ。

物質主義思想の立場で世界を見ると、物質的に個人があり、その周りを物質からなる環境で取り囲んでいる状態である。即ち空間的に小さい領域の個人が内側であり、個人を取り囲む大きな領域は外側となる。よって、個人の中に精神世界が有るのだから精神世界が内側でそれ以外の目の前に広がる物質世界が外側となる。

一方、精神主義思想の立場で世界を見ると、私が目の前で見ている物質世界はすべて私が認識し描き出した世界である。その世界は私の理解、偏見、思い出、意味、そういった私自身を構成するものを遍く含んでいる。従って目の前に広がる認識可能な物質世界とは私自身なのである。他方の私が認識できない世界は未知の世界であり、目の前に広がらない。即ち未知とは認識できていない私の精神の中にある。なお、領域の大小は未知と既知の観点から説明できる。人は森羅万象の理の中では無知である。だから未知の占める割合は大きく、既知はかなり小さい。未知は外で既知は内といえる。私の認識できる目の前の物質世界が私自身、即ち内側であり、それ以外の認識できない未知の精神世界が外側である。

以上、世界とは見る視点で内と外の定義が反転する。上手く伝えれればいいが私の捉える世界観のイメージはこんな感じである。常に常識的な考えの裏には非常識な考えがあるということだ。非常識な立場になることは世界観を広げる上で効果的な手段である。

 

物質世界

客観的に存在する物質世界は個人が認識している実体のある世界である。認識するためには目の前の物質が認識できる現象として現れなければならない。即ち、物質から物質世界を創造するためには現象が必要である。

物質→現象(認識)→世界

 

精神世界

主観的に存在する精神世界は個人が認識している実体のない世界である。認識するためには精神の中の状態が認識できる言葉として現れなければならない。即ち、精神から精神世界を創造するためには言葉が必要である。

精神→言葉(認識)→世界

 

ソウゾウの理

2つ世界観の関係性を理解するためにはソウゾウの理をしらなければならない。ソウゾウを思念で読み解くと以下のようになる。

【ソウゾウの思念】

  • ソウ:内から外れ生まれ出るもの。
  • ゾウ:外から外れ生まれ出るもの。

 ソウゾウの思念が示す「内」または「外」は物質または精神のことであり、上で既に述べた通り物質と精神のどちらを基準とするかで反転するためどちらに当てはめてもよい。思念の次にある「外れ」は物質から現象が外れること又は精神から言葉が外れることを指す。そして思念の後半にある生まれ出るものは世界である。

 ソウゾウは漢字で書くと想像または創造である。想像と創造の関係は下の呟きの通りである。

想像から創造へ。

想像は現象を思い浮かべる。
花を見て思う。
山道を思い出す。

現象がぎゅっと密なものであるとすれば
想像はふわっとした霧。

創造は新しいものを生み出すこと。
それは想像の延長線上にある。

ふわっとした霧に自分オリジナルな秩序をもたせた
多彩な形をもつ雲のようなもの。

 世界観をつくる過程でソウゾウは鍵となる。

  • ツのソウゾウ:無の世界からふわっとしたおぼろげな形をつくる(想像)
  • チのソウゾウ:おぼろげな状態から新たなる鮮明な形をつくる(創造)

 物質世界であろうと精神世界であろうとツのソウゾウ(現象化、言葉化)とチのソウゾウ(世界化)を経て世界が生まれ出る。

また、現象と言葉にも繋がりがある。現象を見て受け取れば認識という状態の言葉(記憶)に変換され、言葉も発すれば認識という状態の現象(記録)に変換される。

そして物質、精神、現象、言葉は物質→言葉→精神→現象の順に循環する。物質を言葉に変換すれば精神となり、精神を現象に変換すれば物質状態となる。物質を形而上の言葉で理解する様は物質の言葉化である。精神を形而下の形として創作する様は精神の現象化である。

 以上よりソウゾウの理の構造は以下のようになる。

【ソウゾウの構造】

 ツ.物質から現象が生まれる。
 チ.現象から物質世界が生まれる。

 物質を言葉化したものが精神。

 

 ッ.精神から言葉が生まれる。
 チ.言葉から精神世界が生まれる。

 精神を現象化したものが物質。

 

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輪廻の渦から跳ね飛ぶしぶき

果てなき器に集まりて

永久の中で君を待つ

生み生まれた君をみつめ

新たな時代をソウゾウす

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