Amies Philosophy ー世界観ノ創造ー

世界は物語。物語は雲。世界観の創造は水を雲にすること。世界観は入道雲のように空高く。

現在、過去、未来の正体

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覚醒 

目を覚まし頭が覚醒し始めた。ここは・・・。そう、地球だ。

混沌とした世界。ここは確かに三次元空間である。

 

私たちは選択の余地なくこの三次元空間の中で生を受け生活を営んでいる。そして生まれたときには既に空間の概念は当たり前にあった。そして時間という概念も当たり前のようにそこにはあった。しかし、おかしな話だ。そこに疑問を抱かないなんて。

 

時間は仲間外れの次元

空間が物理的に存在するのは解る。私たちと切り離された外部世界に存在し、そこには確かにあるのだから。しかし、時間はどうだ。私たちに備わった五感をフル活動させても認識することができない。そんなものを私たちは何の疑いもなく信じている。この世に存在しないものを実体があるかのごとく信じている。おかしな話だ。

 

人間は虚構を実体があると信じることができる不思議な生き物

時間を平気で信じることができている私たち人間。虚構を信じているという点で言えば時間なんて氷山の一角だ。神、お金、国、法律、会社、道徳、友情など、、これらは紛れもなく外界に存在しない虚構である。にも関わらず、何の疑いもなく信じれている人間は変わった生き物というほかない。

 

人間はみんな洗脳されている

だから私たちは洗脳されている。世界中のみんなだ。その証拠に洗脳されていことにも気づいていないのだから。そして確固たる証拠は世界の経済が現に成り立っていることである。お金の価値、国の存在の確信、法律の順守、これは全て虚構を信じるから成しえることであり、その上に立つ経済は当然、虚構信仰の賜物であろう。

 

人間は無知な生き物

自分が洗脳されているとも知らずに、宇宙人はいないだとか、幽霊はいないだとか、神はいないだとか、確信をもって否定する人がいる。おかしな話だ。存在しないものを平気で信じているくせに、自分の想像を超える存在は許容できないときた。こういう人は基本的に思考は停止している。みんなが言ったからだとか、権威のある人が言ったからだとかで信じて、自分で考えようとしない。そもそも、この世の中に正解があるかも疑わしいのに、常識以外を否定するその姿勢に呆れるばかりだ。別に私は幽霊とか神とかを信じているわけでもない。しかし、そういう虚構を信じるのは人それぞれ自由だと思う。何ごとも否定から入ってはいけない。うん。実は私自身、他の誰かに否定されたわけではないけど、自分の中のもう一人の自分が否定してくるから、こうやって頑張って抑え込んでいるのです。

 

常識の呪縛から逃れよ

人間は虚構を信じることを拒絶する一方、みんなの信じている虚構は当たり前のように信じている。これが常識の呪縛である。おそろしい。そうだよ。常識がいけないのだ。だから私は常識を疑う勇気をもって、思考を巡らせる。

 

時間について私たちの感覚を紐解く

そこで時間について考える。時間は不思議な次元という話はした。空間に対して時間はこの世に実在しな虚構だから。時間により現在、過去、未来という概念を創り出している。いや、現在、過去、未来は感覚的なもので、時間が体系化した概念なのか。どちらにせよ、時間的な感覚は確かに存在するように感じる。それがないと説明できないものが存在するのだから。その主な例は物体の運動である。運動を表現するためには時間軸が必要である。時間とはいわば一つ一つの場面をつなぎ止め形成した物語がバラバラにならないように維持する縫い糸だと思う。その糸が切れれば連続した場面はバラバラになり無秩序で混沌とした空間になるだろう。

 

そもそも現在、過去、未来とはなにか

では時間という概念の上に成り立つ現在、過去、未来について考えようと思う。物語を語る上ではこの三つの要素が抜け落ちれば文字の羅列に成り下がる。そもそも外界には現在、過去、そして未来も存在しない。それが初めて現在、過去、未来が概念として現れるのは記録することが前提となる。記録なしにそれらの概念は生じない。私たちが現在、過去、未来を考えるとき、必ず脳の記録をもとにしている。現在とはちょうど今記録している情報、過去とは既に記録された情報、そして未来とは未だ記録されていない未知の情報である。三つの概念を下に整理しよう。

 

現在:記録中の情報

過去:既に記録した既知の情報

未来:未だに記録していない未知の情報

 

これだけですべてが説明できる。何とも単純なものだ。タイムマシーンの登場により、時間軸を飛び越えて旅をするという映画に想像力が感化させられて、時間という概念がとても不可思議なものに感じていたのに考えてみれば物凄くあっさりしていた。胃もたれせずに済んだと思えば、よしとしよう。

こうすることで過去と未来の関係性があらわになってきた。

 

<未来:混沌/未知> ⇒ <現在:秩序化/記録> ⇒ <過去:秩序/既知>

 

未来は宇宙に広がった無秩序な情報の集団である。それらの中から情報を可能な範囲で無作為に抽出して記録していったものが過去と呼ばれるものだ。未来の複数に広がった世界線が過去になると一つの世界線に収束するように見えるのもひとえに記録という事象がそうさせているにすぎないのだ。

 

量子力学の観点から

量子の世界では観測すれば一つの状態に収束し、観測しなければ状態は波として広がりを持つという話は有名だ。このことも上の考えで説明はつく。観測とは記録であり、情報を無秩序の中から一つ抽出しているだけなのだから状態の収束はいわば記録によるものである。

 

ここまでのまとめ

記録とは状態の秩序化ともいえる。未来の混沌とした情報は記録すれば秩序化され過去となる。記録しなければ過去はない。記録は過去を創ること。記録できるものが過去になる資格がある情報だ。未来は未知と同義であり、未だに記録されていない情報群を指す。

 

過去や未来には飛べるのか

過去に飛べるかについて考える

まずは過去に飛べるかについて考えよう。過去とは既に記録された情報群。記録された情報を再生する(過去の動画を見る)のであれば今の技術でも実現できるがこれは過去の記録の復習であって過去に飛んだとは言えない。では、過去に飛ぶ上で重要な三要素を下に整理しよう。

 

<過去に飛ぶ上で重要な三要素>

  1. 飛んだ過去が記録を再現していること
  2. 指定した過去以降が未知であること
  3. 過去に飛んだ本人が過去であると信じれること

 

過去の動画を見ることは三要素の1、2、3を満たしていない。動画には視覚と聴覚の情報は含まれているがそれ以外の情報は記録されおらず要素1を満たしていない。また、動画は記録を寸分違わず正確に再生するものなので選択の自由がなく要素2は含まれていない。そして、要素1,2を満たしていないので当然要素3を満たすことも困難である。

 

<要素1>は人の持つ五感情報を記録し再生する超ビックデータの保存技術と五感を正確に再現できるインターフェースがあれば実現できそうである。

<要素2>は過去に飛んだとしても自分の行動や意思が反映されなければ意味がないので、要素1を実現する技術に加え、既知の記録以降に多数の選択がとれるバーチャルリアリティー技術が必要となる。

<要素3>は本人を洗脳する技術が必要で、要素1、2の技術があれば達成は簡単そうであるが、しかしそこが現実の過去世界であるということを信じさせなければならないことを考えると結構難しい。現実と錯覚させることは可能である。しかし、それがゲームの世界の延長線上の認識では信用させるのは難しい。少なくとも要素1,2の技術に加え過去に飛んだのだと信用させる情報を刷り込む必要はありそうだ。それは、タイムマシーンに乗って移動してきたという偽情報の刷り込みと、バーチャル世界に飛んだ前後の違和感ない連続性が重要だ。さらには偽過去世界の住民が自分の過去の情報を参照しても齟齬がない設定にされていることが重要である。従って要素3に必要なのは全世界の人々の過去の情報の蓄積から、人々が取り得る行動を自律的に行わせて、その人が人であることに違和感のない精度で再現でき、一部の不都合な記憶を改変する技術である。

 

<三要素に必要な技術>

 

 要素1. 飛んだ過去が記録を再現していること

  ・五感情報を記録できる超ビックデータの保存技術

  ・五感を正確に再現できるインターフェース技術

 

  要素2. 指定した過去以降が未知であること

  ・要素1の技術

  ・多数の選択がとれるバーチャルリアリティー技術

 

  要素3. 過去に飛んだ本人が過去であると信じれること

  ・要素1、2の技術

  ・全世界の人たちの過去の記憶情報を記録する技術

  ・記憶情報から自律的な行動がとれるAI技術

  ・AIによる人のとる行動や言動のリアルな再現技術

  ・人の記憶を改変する技術

 

以上の技術がそろえば過去に飛ぶことは可能となる。

 

 

未来に飛べるかについて考える

未来に飛ぶことが可能であるかについて考える。その為に必要な要素は下記三つだ。

 

<未来に飛ぶ上で重要な三要素>

  1. 現在と飛んだ未来に感覚的なギャップがあること
  2. 現在から飛んだ未来までの間に連続性のある未知の物語があること
  3. 未来に飛んだ本人が未来であると信じれること

 

これら三要素を簡単に満たす方法は思いつく。任意の過去から現在までの記憶を消去すれば、過去に行く時のような大層な技術がなくても記憶を消去する技術さえあれば簡単に達成できる。記録により秩序化された情報を無秩序にすればいいだけなのだから。そういう意味では死とは情報の無秩序化だから未来を生成しているとも言えそうである。過去は一つの記録を正確に再現しなければならなかったので大変だったが未来へのジャンプはそこまで頑張らなくてもよさそうである。ほかにも、後頭部を殴って失神させれば未来にジャンプできる。ただ、これは人一世代の時間スケールの話であって、1億年後とかそういった話になるとこの方法では実現不可能となる。生命保存技術により1億年以上の劣化に耐えることができれば、実現できそうである。また、ブラックホールに相当する超重力技術により、その超重力影響下で一定時間過ごしても実現はできる。これはかなり難しい技術に違いない。実のところ、上記で挙げた過去に飛ぶために必要な技術さえあれば未来に飛ぶことは可能である。頭が結構疲れてきたので、細かな説明は読者の想像に任せることにする。

 

以上より、過去や未来に飛ぶことは技術的に実現可能であると考える。想像できるのだから実現はできるというそういう理論だ。

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