Amies Philosophy ー世界観ノ創造ー

世界は物語。物語は雲。世界観の創造は水を雲にすること。世界観は入道雲のように空高く。

世界の創造主

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わたしの世界

状況を把握する、物事を考える、判断して行動する、何かを感じる、直感的な思考、
これらは全て自分の脳によって行われる。
人は皆、他人の脳を介して思考することは、今の時点では、まずない。

個人が認知し得る全ての世界は
必ず自身の脳というフィルターを通して処理されたものである。

即ち、誰もが平等にオリジナルの世界を所有していることになる。
他者からの影響の大小に関わらず、必ず、確実に、例外なく、
我々人類は、自分の脳で世界を捉え、理解し、その中で生きている。

これに従うと、世界とは自分由来であることは自明の理であり、
自分の脳にある情報とその組み合わせによって世界を創造していると言える。

よって、世界とは各個の記憶(経験や知識)と思考から構築されており、
「世界とはわたしだ」と言っても十分によい。

他人の脳に接続する技術のない現在では
世界を認識しているのは紛れもなく自分自身であるのだから。
他人からの影響度は自分の世界観で決まるので、決して矛盾など生じてはいない。

わたしが世界の神

世界は私が創り上げており、その創り上げた世界はわたしでもある。
生きている中で生じる全ての事象は自分の脳が意識無意識の中で
認識しうるものに限られ、知っていることだけが世界の全てである。

この世はわたしの世界であるのであれば、この世界の神とは"わたし"である。

神の迷いと気づき

では、わたしの世界で言うところの客観的な背景に当たる物体とは何なのか。
物理現象に縛られた諸行と、わたしの世界との位置関係はどうなっているのか。
神であるわたしが、この世界で人生が思い通りにいかないのは何故なのか。

この疑問が生じる理由は、わたしの世界は知っていることだけの世界でしかない為だ。
全て知りえないわたしの世界では、知らない事象からもたらされる不確定要素が、
思い通りにいかず、疑問が生じる原因であると言える。
故に、全知が得られたのならば疑問が生じることない。

全とは過不足なくという意味である。
このことはわたしの世界が全の中の部分であることを意味する。

だが部分であることに悲観するのは甚だ思慮が浅い。
疑問が生じる、つじつまの合わない等の、不確定要素78%の世界だからこそ、
好奇心という名の快楽が得られる。
我々人類は、全知全能の神ではなく、好奇心を享受する神である。


世界は自分なしでは語れない、故に世界はわたしのもの

わたしの世界とは自分と言う物体が進化の過程で得た副次的産物である思考により創造された世界観のことだ。世界を認識できるのは思考することが前提であり、逆はない。
思考により存在の認識が可能となり、世界観を創造することができるのだ。思考無くして世界を語ることは決してありえない。

何はともあれ、世界がわたしのものであるという事実は誰にも否定できない。

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