Amies Philosophy ー世界観ノ創造ー

世界は物語。物語は雲。世界観の創造は水を雲にすること。世界観は入道雲のように空高く。

我々は既に未来へのタイムトラベラー

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3つのタイムトラベル

近い未来の旅行は大別して、空間旅行・時間旅行・精間旅行の3つに分類されることになるだろう。

 

空間旅行とは

我々が日常的実行可能な国内や海外旅行をはじめ、将来実現される宇宙旅行などのように、空間を移動する旅行を指す。

時間旅行とは

今は空想の域を越えない、時間を移動するというタイムトラベルのことだ。

精間旅行とは

VR技術により仮想現実や仮想世界の中での旅行である。(精間は造語である。仮想世界は物質を必要とせず精神のみで成り立つ空間世界である。だから精神の空間、略して精間なのである。夢や空想も旅行するのであればこの類だ)
 

思考の迷走

この中でも現実的なのが空間旅行と精間旅行であり、他方の時間旅行については非現実的である。だがしかし、時間旅行は本当に非現実的なものだろうか。
 
ここで便宜上、「現在」には今との状態に大差変わりない範囲で大きな時間の幅を持たせた帯と定義し、過去・現在・未来と区分して時間軸を扱うこととする。
 
結論から言えば、未来へのタイムトラベルは現実的に可能であると考える。(過去へのタイムトラベルはかなり厄介な問題があるためここでは議論を避ける)
ここで、タイムトラベルは現在と未来(または過去)のギャップを認知する旅と言い換えることができる。

 

未来へのタイムトラベルした自分を想像してみる

想像してみてほしい。未来へタイムトラベルする自分を。
これから行く未来に自分の知らない世界が広がっているのだと胸を躍らせ、未来世界を現在の知識という名の制約の中で必死に想い描く・・・
 
さあ、未来へ行く時間がやってきた。
名もなき神は「寝て起きれば、そこに広がる世界は未来である」と言う。
このことに半信半疑ではあったが、神の言うことならばと表向きは言い訳するものの、実際は好奇心が背中を押している。
期待を悟られないようにベッドに横になり、眠りについた。
それからどれだけの時間が流れたのか定かではない。
まだ夢と現実の区別ができない混沌とした意識の中で、神の言葉が曖昧な意識を過ぎり、反射的に瞼を開けた。
そして目の前に広がっていた世界は・・・

 

①目の前に広がっている世界は過去の想像と、ギャップがほとんどなかった。
  • それが現在に近い未来だった場合は未来に来たか否かの判断材料は、日付や知人との会話で生じる齟齬だろうが、実際問題、寝て次の日に目が覚める日常生活と大して変化はない。これは日常的すぎてタイムトラベルしたとは"思わない"だろう。
  • それが現在より遠い未来で知人も誰もいない場合は、雰囲気、環境等の齟齬からタイムトラベルが成功したかを判断する。周囲の建物もだいぶ様変わりはしているが、今まで過ごしていた世界と基本構造は変わりない。ここが未来かどうかは、知人に確認できないので、今立っている場所はどこなのか、西暦何年なのかなど、そういったことを確かめて未来に来たかもしれないと思うのだが、やはり、未来に来た実感と言うよりかは、来たことのない場所に跳ばされたと言われた方がしっくりくる。この場合、主観的には空間旅行に分類される。

 

②目の前に広がっている世界は過去の想像とかけ離れていた。
  • その世界では、空を見上げると飛行物体が盛んに飛び交っている。あれはドローンなのだろうか。地上に目を移すと、走る車は本来付いているタイヤが無く浮遊しているかのように滑らかに移動している。車体の外装はディスプレイのようなもので覆われており、中は確認できない。そういった動く人工物は忙しなく行き交っており、脳では処理できないほどの数の膨大さと動きの複雑さに圧倒されるが、そこには確かに規則性がみられ、秩序立った流動を成している。そういったものがあるのにも関わらず、一層目につくのがあの天まで伸びた建造物だ。超が10回以上は付くのではないかと思わせる、超高層物である。地球からの出入りを容易にさせている建物なのだろうと、非現実な世界にどこか順応し始めた思考で推察する。さらに驚かせたのは、その日の夜のことでる。晴れ渡った夜空を見上げると、そこにはよく知っている月とは異なり、こちらに向かって月から何かが伸びており、上空ではその伸びた先端が大気との摩擦により赤く光り輝き、幻想的だ。月の公転運動に連動して動いている流れ星ようだった。今振り返っても何のためのシステムなのかは解らない。

 

未来へのタイムトラベルとは結局・・・

このように想像してみると気づく点がある。
結局のところ、タイムトラベルするということは、タイムトラベルを実感しなければならない。実感するための必要な要素は、タイムトラベル前に思い描いた世界と、時間跳躍を経て実際に見た世界との間に現れるギャップが如何に大きいかである。

 

従って、今、未来がどうなるかを明確にイメージした上で未来へ跳躍し、実際その未来に到達した時にどれだけ過去のイメージとにギャップがあったのかが、タイムトラベルをしたと強く実感できる鍵になる。

 そのため、未来へタイムトラベルするには過去の自分が如何に未来へのイメージを明確にしたかが重要となる。

 
それから20年もの歳月が流れて、過去に想い描いていた"未来"と言う名の現在に到達した。ふと昨日のことのように過去に思い描いた未来像を想い出し、その瞬間、未来に来たのだと気づく。過去と未来の間を繋ぐ20年間の連続性は、過去に明確にされた未来のイメージと、"未来"と言う名の現在の世界観とのギャップに書き消され、あたかも過去から未来に跳躍したかのように錯覚する。
 

未来へのタイムトラベルの真実

我々は精神の中で生きる生き物である。世界は精神により構築され、物質的世界から五感を介して刺激を受け取りはするが、それは全て精神と言う名のコードに書き換えられる。だから、どう感じたがが我々の世界の全なのであり、それはこの世の真理である。

 

よって、体感も・実感も・現実も・仮想も・錯覚も全てにおいて、思考により・感情により・意志により、それらは等価とみなせる。
そう、この世界の真理からすれば、記憶の跳躍も立派なタイムトラベルなのだ。
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